パンダが降り立った日~ただかわいいだけじゃない!パンダの歩んできた歴史

パンダ好き必見!

動物園で見ているだけでは知ることのできないパンダが到来するまでに、何があったのか。怒涛の出来事を紐解いていきましょう。日本における中国のかかわりから実際当時パンダが来たときどれだけ反響があったの?現在は?までお答えします。

目次

日本になぜパンダが来たのか

ずばり友好の証として日本に来たのがパンダです。

どういうことか説明するには歴史的出来事を軽く説明する必要があります。

1972年9月25日|中華人民共和国と日本の国交(日中国交正常化

田中角栄内閣総理大臣(64代時代)と周恩来国務院総理両首相の調印に基づき国交回復

1972年10月 |日本に初の2頭のパンダが寄贈

国交正常化の友好の証として中国から日本羽田空港到着

1972年11月5日|東京都恩賜上野動物園(通称:上野動物園)でパンダ一般公開

日中国交正常化からパンダの一般公開まで一ヵ月+αほどで行われているのがスピードを感じられる歴史となってます。このスピード感が日本国民の中国との正常化のシンボルとして伺えます。

歴史的背景を知っておくと、日中国交正常化とパンダは切っても切れない関係ということがわかります。

なぜパンダはそんなに当時喜ばれてたの?

ズバリ当時の日本の娯楽は現代とは比べ物にならないほど乏しかったからです。

1972年といえば現代では当たり前に使っているスマートフォンどころか携帯電話すらない時代です。

そうなれば人々はTVを見るか音楽を聴くかというような環境でした。

そんな中に日本には生息していない当時絶滅危惧種のパンダが来るとなれば大盛況だったようです。なんと公開初日には上野動物園に1万8000人の長蛇の列ができていました。こうなると気になるのが観覧時間ですが、2時間以上待って実際にパンダを見れるのは1分程でした。

ちょっと規模感がわかりにくいかもしれないですが、現代に置き換えるとコロナ前の2019年Appleの新製品iPhone 11が発売された初日長蛇の列と言われていた銀座ストアでも150人程度の行列だったので約120倍の列です。

これだけでも日本人にいかにパンダが愛されていたのかというのがわかります。

パンダに税金が使われてる?

1972年10月に贈られた2頭のパンダ(カンカン、ランラン)には無償提供なので、税金を使ってはいないです。

1975年に中国がワシントン条約加盟したため、絶滅の恐れがあるパンダは商業目的の国際取引が禁止されました。

そこで1994年から中国が行ったのがブリーディングローン制度です。これは保護や保全・飼育繁殖技術研究等の学術目的のため、所有権を保持したまま貸与(有償のレンタル)です。

パンダのレンタル費用は上野動物園

上野動物園は東京都の施設のため、結果として都の税金で払っているということになります。

どのくらい払っているのか

時代によって価格変動は見受けられますが、約83ドル/1億円前後/527万人民元と言われています。

しかし、これだけの税金を投入しても見たくなる!それほどの魅力がパンダにはありますよね!

最後に

ここまでパンダの歴史や背景についてお伝えしてきました。ここまででパンダへの知識は深まりました。

なんと今日本にいる双子のパンダ(シャオシャオ、レイレイ)が2022年3月25日より一般公開が再開と2ヵ月ぶりに顔を見に行けるのでぜひとも見に行ってみてください。

なお、一般公開はしばらくの間は事前抽選で動物園ホームページから申し込む形となるようなので、最新の情報はそちらで確認してみてはいかがでしょうか。

上野動物園抽選サイト

ちなみに2022/03/22時点の情報では公開時間は午前10時~午後2時の間で約2800人に制限しているようです。

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